たわらやしんでん
■ 俵屋新田
俵屋次郎左衛門が中心となって開発された、俵屋をはじめとする周辺17ヵ所の新田の名称。そのなかでも最大規模の俵屋は、1645(正保2)年、俵屋次郎左衛門ほか4名の開発者たちによって開墾された、佐野・長滝・日根野の3村が接する地点近くを中心とした新田村です。新田の大部分は洪積大地や海岸沿いの荒地で、農地には適さない土地でした。続けて佐野村内や佐野の市場村などの小規模開墾が続けられ、1755(宝暦5)年の一応の完成時には総面積は56町4反余り(約56ヘクタール)に達していました。しかし年貢率は普通の新田村よりも高く、そのためか新田の耕地主も転々とし、新田経営は必ずしも安定しませんでした。1889(明治22)年から日根野村の大字名となり、1910(明治43)年に俵屋と改称。1954(昭和29)年からは泉佐野市の大字となりました。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 143ページ)