1645(正保2)年に起工された俵屋新田の開発事業で、その中心となった人物です。一説には岸和田藩の岡部侯に従ってきた武士ともいわれていますが、有力な町人であったことをうかがわせる記録もあります。それは、願泉寺本『泉州志』などの「大坂俵屋次郎左ヱ門」という記述で、大坂町人で俵屋と呼ばれたものの一族であったのではないかと思われます。 (出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 143ページ)