ひねのむら
■ 日根野村
鎌倉期から戦国期に日根郡日根荘のうちにありました。村名が初めて文書に見られるのは1234(文暦元)年『日根荘諸村田畠在家等注文案』です。江戸時代を通じ岸和田藩領で、1645(正保2)年の村高は2,347石余りとなっています。農業には適した土地で上質の米が取れましたが、周辺で盛んだった綿花の生産は少なかったようです。1871(明治4)年大阪府に所属。1889(明治22年)市制町村制施行により、俵屋新田と合併して日根野村となり、旧村名を継承した2つの大字で編成されていました。1896(明治29)年からは泉南郡に所属。1954(昭和29)年、合併により本市の一部となり、村制時の2つの大字は本市の大字へ継承されています。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 186ページ)