じげんいん
■ 慈眼院
日根野東上にあり、日根神社の幾つかあった神宮寺の一つ。673(白鳳2)年の開創と伝えられる古刹。真言宗仁和寺の末寺。後聖武天皇の時、勅願寺となり、817(弘仁8)年弘法大師が来住して多宝塔・金堂などの諸堂を建立したといわれています。
古くは中之坊と呼ばれていましたが、1665年(寛文5年)に慈眼院の院号を得るなどして有力な神宮寺になっていきました。
天正年間、織田信長の根来寺攻めの時に兵火にみまわれたと伝えられ、わずかに多宝塔と金堂のみが残されました。その後豊臣秀頼により修復され、江戸時代には岸和田藩主岡部侯の祈願所ともなりました。国宝の多宝塔や重要文化財の金堂をはじめとする多くの文化財が残され、弘法慈眼院の姥桜などの伝説も伝えられています。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 107ページ)