きしわだはん
■ 岸和田藩
江戸時代の藩名。本市は鶴原、上瓦屋、中庄、および岡本、樫井の各村を除き、おおむねこの岸和田藩に属していました。1585(天正13)年岸和田藩主中村一氏が近江国水口に転封となり、代わって小出氏が入部して岸和田藩が成立しました。3代目小出吉英の時に但馬国出石に転封となり、代わって松井康重が入封。後継ぎのなかった康重の他界後、1640(寛永17)年岡部宣勝が岸和田藩主となり、明治維新を迎えるまで13代にわたり岡部氏が支配するところとなりました。幕府は紀州の徳川頼宣に対する抑えとして、泉南の要地岸和田に信頼のおける岡部氏を置いたといわれています。岡部氏は領内の有力者7名に特権を認め、七人衆として支配の補佐を行わせました。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 63ページ)