織田信長の後を継いで天下統一を進めていた豊臣秀吉が、その基盤を固めるために近畿で唯一の敵対者であった根来寺衆と雑賀衆(さいがしゅう)に対して行った、1585(天正13)年の全面攻撃。その緒戦の前線は現在の貝塚市内に設けられた根来方の諸城で、その中には泉佐野市内をはじめ泉南地域の有力農民などもたて込もりましたが総崩れとなり、根来寺衆と雑賀衆の連合軍は約1ヵ月で敗れてしまいました。この戦のあおりを受けて本市にあった多くの寺社も焼失してしまいました。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 169ページ)