ひねのしょう
■ 日根荘
中世初期に成立した九条家の荘園。日根の荒野の開発をもくろむ高野山が荘園とすることを試みましたが失敗。1234(天福2)年に九条家領となりました。荘園は、鶴原村・井原村・入山田村・日根野村の4ヵ村で構成されていました。その後南北朝の内乱を経た室町時代には入山田村・日根野村の2ヵ村のみが九条家領として残り、他は武士領となりました。戦国時代に入ると根来寺方と守護方武士との支配をめぐる抗争の場となり、1501(文亀元)年から4年間にわたり、領主である九条政基が当地に滞在し荘園支配の回復を試みました。しかし思うような効果もないまま、やがては消滅することとなりました。日根荘をうかがえるものとして「和泉国日根荘日根野村絵図」『政基公旅引付』などをはじめ多くの文書も残されていて、中世の研究には欠かせない全国的にも貴重な資料となっています。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 182ページ)