ひねのし
■ 日根野氏
中世、本市に拠点を構えていた武士。長滝庄の庄官を務めていた中原氏の分家筋にあたり、鎌倉時代の半ばすぎ日根野村に拠点を構え、日根荘の庄官ともなり、本家の中原氏をもしのいで日根野氏を名乗っていきます。その後南北朝の争乱のときには北朝方につき、足利尊氏から感状をもらうなどして勢力を拡大しました。室町時代には守護の家臣となり、泉南地域のなかでも有力な武士となっています。しかし農民の力の増大や根来寺の勢力の伸長の前にしだいに衰えていき、戦国時代には和泉国から美濃国に移り斎藤道三に仕え美濃六人衆の一人となっています。また本市に残った日根野氏の末裔からは南画の第一人者でもある日根対山などの人物を輩出しています。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 186ページ)