かんむりのふち
■ 冠の渕
旧蟻通神社の近く、熊野街道沿いにあった紀貫之伝説ゆかりの池。1942年(昭和17)年に蟻通神社の移転と同時に埋められ、今日では元の姿を見ることはできませんが、現代の蟻通神社の境内に再現されています。かつて淵の中の島に建てられていた石碑も、現在蟻通神社の入口付近に紀貫之の歌碑と並んで建てられています。そして紀貫之の『紀貫之家集』には次のような話が伝えられています。
《昔、紀貫之が紀伊国からの帰りに蟻通の社前を通りかかると、急に馬が一歩も進まなくなり、倒れてしまいました。貫之は馬から転げ落ち、冠が渕に落ちました。これは蟻通大明神の崇りだと聞かされたため、貫之はすぐさま自分の非礼をわびるために「かき曇りあやめも知らぬ 大空にありとほしとは思ふへしや」と詠んで神社に奉納したところ、馬はたちまち元気になりました》
歌の意昧は、「くもって何も見えない大空に星があるとは思われないのと同じで、この近くに神がいらっしゃることなど思いもよらなかった。それで馬に乗ったまま通り過ぎようとしてしまいました。どうか無礼をお許しください」ということです。この伝説は貫之家集に記されていることと少しちがいがありますが、のちに世阿彌が謡曲「蟻通」として舞台で上演していっそう有名になり、今日まで伝えられています。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 60ページ)