かいせんぎょう
■ 廻船業
諸国の港をまわって物資を運送する江戸時代の海運業。本市では、室町時代から廻船業が始まっており、秀吉の朝鮮侵略のさいにも佐野の船が多く使用されました。しかし、佐野の廻船業が大きな発展をしめすのは、幕府の政策によって大坂が天下の台所となり、下関海峡を通過する西回り航路、江戸と大坂を結ぶ東回り航路が開かれた17世紀後半のことです。このころから食野家、唐金家、矢倉家の北前船が奥州まで乗り出して巨額の富を築くことになります。元禄時代に泉南地域には9ヶ浦と貝塚の合計10ヶ所の港がありましたが、佐野は廻船でも漁船でも群を抜いて大きくて多数の船を持っていました。ちなみに第2位は嘉祥寺浦、第3位は貝塚浦でした。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 44ページ)