源流は寛文年間、摂津におこった小早という廻船。酒問屋が、酒荷専用船として樽廻船を運航させました。もともと運航していた菱垣廻船よりも船足が速く低運賃であったため、これに代わって大坂と江戸を結ぶ南海路の廻船業を独占しました。 (出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 142ページ)