粉河街道と布施屋貝塚線の交わる南側の高台、鶴原の貝田にある城址。「城の山」とも呼ばれています。その構造から住居を主体とした館城と考えられますが、由来などは不明です。室町時代にこの辺りを治めていた佐竹氏の館ではないかとも推測されていますが、石山合戦の時に雑賀衆に属していた城の跡ともいわれています。 (出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 45ページ)