奈良時代から見える地名で、血沼・茅渟とも書きます。大化の改新以前には茅渟県と見えますが、改新の時には河内国に属し、8世紀に分かれて和泉国になりました。『古事記』」神武天皇条には「血沼海」の伝承が残っています。神武天皇東征の際、天皇軍は長脛彦に敗れ、やむなく熊野に回ることになりました。その途中の浜で、重傷を受けた兄の彦五瀬命がその矢傷を洗ったところから「血沼海」と名付けられたというものです。現在「ちぬ」
の地名は市内に「茅渟宮跡」「茅渟池」として残っています。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 147ページ)
参照→
茅渟池,
茅渟宮