さの
■ 佐野
本市の中心市街地を形成する佐野町場の地名、町名。佐野の市街地の形成はまだよくわかっていませんが、熊野街道筋の交易場として発展し、室町時代には毎月2、7日定期的に六斎市(ろくさいいち)(佐野市場)が立ったことはたしかです。しかし、漁業と海運の発展によって市街の中心はしだいに海岸部に移動していきました。くぐつと呼ばれる人形使いも興行をうっています。上町にはこの頃人家ができています。
佐野の海運は、秀吉の朝鮮侵略によってその用船として、漁業とともに使用されたことで本格的に発展し、佐野の住民が住む町として17世紀中頃にきちんと区割りされた新町が開発されました。
このようにして、佐野は泉南地域ではもっとも栄えた密集した市街地を形成しました。こんにちでは町名がなくなりましたが、円田町、祗園町、坂口町、大引町、車町、大将軍町など古い町名もありました。これらの町名はそれぞれ佐野の人々が暮らした歴史を物語るものでもあります。
自治体としては、1889(明治22)年町村制施行によって佐野村となり、1911(明治44)年佐野町、1937(昭和12)年に北中通村と合併して泉佐野市になりました。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 93ページ)