大正初期、アメリカから帰国して農業を営んでいた人に西洋野菜作りの話を聞き、本市で初めて栽培を始めた人です。当時20歳の彼はセロリ作りに挑戦し、失敗を繰り返しながらも約10年後に成功しました。しかし当時はセロリの食べ方がわからず、特有の香りになじめないなどで買う人も少なく、外国船の出入りする港でやっと売れる程度でした。その後食生活の洋風化に伴いしだいに需要ものびていきました。そして1968(昭和43)年、これらの功労により瑞宝章を受賞しました。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 64ページ)
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セロリ