たていしすいえい(ねんてん)
■ 立石垂穎(念典)
〔1702−1767〕江戸時代の神道家。岡本村の庄屋筋であった立石家に生まれ、成人して彦兵衛を襲名しました。垂頴が成人に達した享保時代には泉南地方にも国学思想が浸透するようになり、若くして垂加神道を学ぶようになりました。垂頴を中心とした泉南地域の村役人などを詠んだ和歌集をみると、すでに当時国学や神道思想が、農民上層部に広く浸透していたことを知ることができます。垂頴は1749(寛延2)年49歳の時『大和沙汰文(おほやまとすなゆりぶみ)』を著したほか、神道関係の多数の著作を残しました。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 138ページ)