江戸時代の佐野浦は、廻船業・漁業の発展が著しく、和泉国9ヵ浦の中でもっとも活況を見せていました。1699(元禄12)年には300石以上の船が88隻もあったといい、食野家、唐金家、矢倉家などの豪商が遠くは東北地方とも交易していました。また漁業では、中世から近世初頭にかけてすでに対馬・五島列島・関東沖の漁場に進出しており、特に対馬では佐野網と呼ばれていました。 (出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 95ページ)