戦国時代を一歩リードし、天下統一をめざした武将。強力な僧兵を有する石山本願寺を攻め落とすことができなかった信長は、1577年本願寺を支える有力な雑賀衆(さいがしゅう)の本拠地への攻撃を行いました。その際に本陣を佐野へ進めると同時に日根神社などの神社仏閣を焼いたと伝えられていますが明確ではありません。雑賀衆を攻めての帰途、佐久間信盛、明智光秀、羽柴秀吉、荒木村重などに命じて佐野村に城を築かせています。 (出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 42ページ)