けんにょしょうにん
■ 顕如上人
〔1543−1592〕安土・桃山時代の浄土真宗(一向宗)の本山、石山本願寺の第11世宗主。名前は本願寺光佐といいます。1570(文亀元)年に一向宗の力を恐れて圧力を加える織田信長と衝突。以後10年間におよぶ石山合戦の末、1580(天正8)年和議により石山本願寺を開城し紀州へ退去しました。その途中で本市を通ったとされ、かなわぬの松、顕如松、顕如上人の隠れ井戸などのいい伝えが今日まで残されています。この退去をめぐって息子教如と対立し、後に東西本願寺に分かれる原因となりました。ただし、顕如が退去した経路(陸路、海路、本市での途中休息など)については実証するものはまだ発見されていません。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 77ページ)