けんにょしょうにんのでんせつ
■ 顕如上人の伝説
一向宗法主本願寺顕如光佐が紀州に退去する時にまつわる中庄の伝説。1580(天正8)年、10年間織田信長軍に頑強に抵抗して戦った一向宗の本山石山本願寺は事実上降伏し石山城を明け渡して、紀州鷺森御坊に退くことなりました。紀州へは海路か陸路かは史実としてははっきりしていませんが、伝説では海路により佐野の浜に着いて上陸しました。
(1)叶(かな)わぬの松
顕如上人は織田の軍勢が迫ってきたので、松の木に登って眺めました。すると追手が間近に迫っていました。そこでもう逃れることができないとさとって、かなわぬと嘆息したためにこの名がついたといいます。中庄町付近にあったと伝えられるこの松は現存しませんが、中庄町で以前使われていた「叶松町」という地名の由来ともなっています。
(2)顕如上人隠れ井戸
佐野湊に上陸した顕如上人は中庄の新川家に一時身を寄せました。ところが織田方の忍びの者が探索に来たので、藪のなかに穴を掘ってこれに隠れて逃れることができました。
(3)顕如松
顕如上人は織田方に追われて下瓦屋の浜まで来ましたが、万策尽きて松に向かってわたしを助けておくれと叫びました。すると不思議なことに松の幹が二つに割れて上人をなかに隠しました。このためこの松を顕如松というようになりました。この松は杉山元治郎の自伝によると明治の中頃にはまだ枯れずにあったようです。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 78ページ)