かしいこせんじょう
■ 樫井古戦場
徳川方と豊臣方の最後の決戦、大坂夏の陣の最初の合戦があった本市樫井附近をさす通り名。徳川方は1615(元和元)年4月29日早朝先駆け大坂方を長滝の熊野街道松林から後退しながら狙撃して、ついに樫井の町中と川原で入り乱れた白兵戦となりました。結果は作戦がまんまと当った徳川方の大勝利におわりました。当時熊野街道は長滝蟻通神社附近から松林がつづき、安松附近の街道わきは湿地や沼が広がり、八丁縄手の地蔵がぽつんと立っていたものと思われます。樫井は熊野街道の沿道に家並があるほか、おそらく樫井西の家並はほとんど形成されておらず、樫井川の氾濫原の川原が広がっていました。一岡神社方面に続く熊野街道の橋は樫井川の川原に、出水すれば流されるほどの板橋があったくらいだろうと思われます。樫井東の街道筋には塙団右衛門の五輪塔、淡輪重政の宝篋印塔、明治大橋のたもとには樫井合戦の古戦場の碑が建てられています。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 49ページ)