江戸時代から明治時代にかけて泉州で織られた木綿布地の通り名。泉州で栽培された綿花は、綿毛の質が良かったために、主に白地のまま反物にする白木綿を中心に織られました。和泉木綿は河内木綿と並んで全国に有名となりました。明治時代に入ると、タテ糸に外国輸入の良質綿花からつくられた糸を使用して織られるようになり、いっそう発展しました。泉佐野地域はもともと良質な白木綿を材料に日本手拭(てぬぐい)の産地となり、この土壌がのちにタオルの一大産地になって、今日まで続いています。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 15ページ)
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タオル