大阪湾で漁獲の多いイワシを干して作った肥料。「干鰯」と書きます。明治時代以降は北海道のニシンを干した肥料に変わりましたが、これもほしかと呼びました。近世初頭以降盛んになった綿栽培や菜種の栽培には欠かせない肥料でした。この肥料を作る小魚を漁獲するため、新しい漁法の開発や造船事業が盛んとなり、遠く九州方面にまで基地を設けて操業するなど佐野浜の漁業は著しい発展をとげました。近代以降も化学肥料が出るまでニシンほしかが多く使用されました。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 197ページ)
参照→
菜種,
綿栽培,
イワシ漁