ひねごおり/ひねぐん
■ 日根郡
本市を含め、本市以南の大阪府内の地域をさす広域の地名。1896(明治29)年以降は岸和田・貝塚市域の南郡とあわせて泉南郡の一部となりました。江戸時代までは“ひねこおり”と訓読みされ、明治時代から“ひねぐん”と音読みされています。
古代に和泉地方は河内の一部でしたが、716(霊亀2)年和泉地方の臨時の役所である和泉監が設置され日根郡の地名が初めて文書に登場しました。このとき日根郡には賀美郷など4郷があり、賀美郷に郡の役所が置かれたように本市域の上之郷は古くから開発が進んだ地域でした。『大阪府全志』によれば、江戸時代の日根郡の総石代は約5万7千石で、その半分以上は岸和田藩の領地で、本市域のほとんどは同藩に属していました。1875(明治5)年の日根郡には77ヵ村があり、1887(明治22)年の町村制で26ヵ村に統合され、現在は本市、泉南市、阪南市、熊取町、田尻町、岬町の3市3町で構成されています。現在の人□は約30万人に達しています。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 179ページ)