だんばらみつじあと
■ 檀波羅蜜寺跡
中庄から市場町付近にかけ存在したと思われる寺院。聖徳太子の開創と伝えられる檀波羅蜜寺は、1399(応永6)年大内義弘の乱で焼失したといわれています。1965(昭和40)年に行われた大阪府教育委員の調査によって中庄西部の丘一帯に広がる大寺院であったことが判明し、出土品から平安時代末の創建ということがわかりました。1973(昭和48)年から発掘調査が行われ、溝、土壁、井戸跡のほか、蓮華紋軒丸瓦などが発見されています。
上町には檀波羅蜜寺の名を残した観音堂があります。市場町如来寺に保存されたという石造の層塔や熊取町慈照寺の十一面観音、寺名入り瓦などは、当時の遺物であると伝えられています。現在は檀波羅公園の名にその名残をとどめています。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 146ページ)