泉佐野市立図書館
いずみさのなんでも百科
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そとおりひめ

■ 衣通姫

上之郷中村にあったとされる茅渟の宮に住まったと伝えられる、允恭天皇の皇后の妹姫。 衣通女郎(そとおしのいらつめ)ともいい、允恭天皇との“忍ぶ恋”のロマンスが日本書紀に記されています。この名前は、容姿が大変美しく、身の輝きが衣を通して見えるほどであったからだといいます。 《5世紀中頃のこと。允恭天皇は皇后の妹である衣通姫を愛していました。しかし姉である皇后の嫉妬はひどく、天皇は衣通姫のために「茅渟の宮」を造営。姫を都からそこへ移しました。そして、天皇は姫に会うため、遊猟といっては日根野におもむきました。しかし、見かねた皇后が「人民の迷惑も考えてつつしんでください」と願い出たため、天皇は遊猟をあまり行わなくなりました。そこで衣通姫は、忍ぶ恋路ゆえの待つ身のつらさを、「とこしへに、君もあへやも いさな取り、海の浜藻の 寄る時々を」(私は海の浜藻が波のままに岸辺へ近寄り漂うように、まれにしかお会いしておりません)という歌に詠みました。天皇は「この歌は皇后の耳に入るといけない。他人にもらさぬように」と注意されたそうです。それから土地の人は、海藻のことを「なのりそも」(告げるな=知らせるな)と呼ぶようになったといいます。》 上之郷には茅渟の宮跡とされる伝承地があり、この歌の石碑が建てられ、毎年春には宮を守る地域の人々によって姫をしのぶ祭りが行われています。
(出典:『泉佐野何でも百科』  泉佐野市役所  1994年  132ページ)

参照→茅渟宮