しんどうみやでんしょう
■ 新道宮伝承
新道宮にまつわる宮座伝承。新道宮は、日根野の一部家筋と上之郷母山の住民で氏子を構成される宮座が現在でもつづいていますが、神社じたいは明治の合祀で日根神社の境内社になっています。これまで伝えられている伝承はこうです。豊臣秀吉が根来寺を攻めるとき、日根野の庄屋目源六は根来寺方に味方しました。そのため根来寺がほろんだ時に一時高野山の近くへ逃れました。やがて許されて日根野に戻って、以前どおり日根野の氏神野々宮の宮座に復帰したいと申し出ました。しかし、当時いったん宮座を離れたものは再び復帰することはできないという決まりになっていました。源六がどうしても戻りたいと申し出ると、宮座側はどうしてもというなら、源六の家から野々宮まで米俵を横に並べてみよといいました。源六は米俵を縦になら並べることができるが、横にはできないといって断念し、みずから新道宮を立てました。それで新道宮の宮座の会合では、目本家の出席者は年齢のいかんにかかわらず正座に着席する決まりになっています。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 124ページ)