さといふきゅう
■ 里井浮丘
〔1799−1866〕湊浦で生まれ、通称治右ヱ門といいました。大変教養の多彩な人で、幼くして儒学を学び、国学に心を寄せたほか、歌道にも精進していました。『甘庶論』『日省録』などの著作のほか、1,700首を超える和歌など多数の作品を残しています。
また家業の廻船業も営む実業家であり、豊かな財力の上に優れた文物鑑識眼を持ち、立派な書画を集めたことでも知られています。彼の尽力のもとには、多くの国学者や著名人が集まり、本市出身で南画家の第一人者である日根対山も、彼に頼るところが大きかったといいます。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 92ページ)