おぐりはんがん
■ 小栗判官
室町時代の説教節や江戸時代の説教浄瑠璃によってよく知られた語りものの題名。またその主人公の名前。この物語は熊野街道の別名、小栗街道の名の起こりとなりました。話のあらすじはこうです。
《京都の貴族小栗判官はゆえあって常陸に流されたとき、相模の豪族横山氏の娘照手姫をめとりに舘(やかた)に行きます。これに怒った姫の兄によって毒殺され土葬にされます。えんま大王のはからいによって生き返ることができましたが、耳も聞こえず目も見えずものも言えない、死人同然の体になります。しかし、熊野湯の峰のお湯につかると復活することができるといわれ、土車に乗せられ途中途中供養の人々の善意に引きつがれて熊野に向かいます。美濃では判官との恋がもとで売られた照手姫もそれが夫とは知らずに土車を引きます。こうしてようやく熊野へ到着し復活した判官は、官職も得て照手姫としあわせに暮らすことになりました。》
説教節のなかでもとりわけ有名な五説教の一つとして、熊野街道を別名小栗街道と名づけるほど熊野に憧れる民衆のこころをとらえたことと思われます。
(出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 39ページ)