1234(天福2)年にはすでに藤原氏領として成立していた荘園。鎌倉時代中期の伝承によれば、11世紀前半から半ば頃にかけて源永盛によって開発され、紫式部の仕えた藤原彰子の荘園でした。鎌倉時代の荘官は中原氏で、鎌倉時代半ばには他氏とその位置を争っています。後の日根野村に本拠地を置いた武士日根野氏も、この中原氏から分出しました。室町時代には興福寺領となったようですが、いつまで荘園として存続したかは明らかではありません。 (出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 159ページ)