湊町にある永観年中に萩野道頒により開かれた寺院。もとは真言宗に属し、戦国時代に根来寺方についたため織田信長に攻められ焼失しました。その後、祐珍住職のときに浄土真宗へ改宗し、摂津・河内・和泉・紀州の4ヵ国に25ヵ寺の末寺を持つ大寺になりました。現在は浄土真宗興正寺の末寺になっています。 (出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 69ページ)