鎌倉時代から戦国時代にかけての村名。和泉国日根郡日根荘を構成する4ヵ村のうちの1つです。1234(文暦元)年の『日根荘諸村田島在家等 注文案』にはじめてその名が見えます。範囲については確定できませんが、井原里駅や井原池(市場町)、また戦国時代初期の『井原村之内安松』の記述から推定すると鶴原の南から日根野の西、安松にかけての相当広い範囲だったようです。 (出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 21ページ)