鎌倉時代から見える村名で、和泉国日根郡日根荘を構成する4ヵ村のうちの1つ。1234(文暦元)年の『日根荘諸村田畠在家等注文案』に初めてその村名が見えます。しかし南北朝時代には日根荘の支配から離れたようで、1393(明徳4)年には足利義満が弓の師佐竹氏に与え、日根荘領主九条家が回復することはなかったようです。 (出典:『泉佐野何でも百科』 泉佐野市役所 1994年 153ページ)